2008年12月15日月曜日

ベニスの水管理

水の都ベニスの街づくりの歴史、それは水管理の歴史でもあります。
ご存知のようにもともと一面に広がる沼沢地だったベニス、比較的高い場所を運河を掘削した土で盛り上げ、無数の杭と石で土台を作り上げた上に街を作り広げていったのがベニス。

運河網を良好な状態に保つには恒常的なメンテナンスが必須、そのために昔からベニスの行政官には「水管理(運河)」専門官がおかれ大きな権力が与えられてきました。
勿論権利を与えられるということは、職務に失敗した場合には重大な責任を問われるということでもあります。
現在ベニスは水位上昇という問題に悩まされています。
今月に入ってからの大雨でベニスの街の冠水状態が続いています。
一説には地球温暖化の影響ともいわれていますが、定かではありません。
ずいぶん前からベニスでは街の冠水を防ぐための恒久的な対策が練られています。


その一つが大きなフロート式の水門、海側の水位が増えたときにフロートが浮いて水位を調節しようというものです。
水の都を守るのも大変ですね。

2008年8月1日金曜日

10月、ドブロブニククルーズ



今年も10月5日から1週間ほどドブロブニク周辺をクルーズします。
前回訪れたのは6月、そのときの模様を何点か写真でご紹介しましょう。

○ レストランにドッキング 
  ドックを持ったレストランがあちこちにあります。
  湾に入っていくとあちこちのレストラン前のドックから手招きで「こっちへ来い!」サインが出ます。
このようにスターンでドッキング、すぐにメニューを持ったウエイターがやってきます。レストランの席でも、船のコックピットでも好きなところで食事を楽しみます。




○ レストランのドックの夕暮れ風景















○ これは小さな島のドック、フェリーの横に船を係留。

2008年6月9日月曜日

ドブロブニク(ラグーザ)


ドブロブニク(旧名ラグーザ)は長いベネチュア共和国の長いアドリア海支配の間も、ある程度の独立を維持してきた交易都市として繁栄を続けていたことで有名です。
そこで疑問となることは、同じ交易を主産業とするベネチュアが何故ラグーザの独自交易と独立(ベネチュア最盛期には自治というほうがあたっている)を認めてきたのかということ。
国を現代でいうところの株式会社と同じように「経営」してきたベネチュアが商売敵とでもいうべきラグーザをなぜ認めてきたのか。
ネットで歴史を調べてみても、ラグーザは交易都市国家として発達、ベネチュアと異なりビザンチン帝国の属国としての立場が強く、宗教が異なった(ベネチュアはカソリック、ラグーザは正教)などの情報は出てきますが、同じ交易都市国家としてアドリア海の覇権を握っていたベネチュアがラグーザの立場を認めてきた理由は見当たりません。
その理由は交易の対象となる国と経路が異なって点にあることがわかりました(前回掲載の本を読んだ結果です)。
ベネチュアの交易路はアドリア海を縦断、イオニア海からエーゲ海、東地中海であり、オリエントと西欧の間の物資交易が主たる目的でした。
これに対し、ラグーザは後背地であるバルカン半島内陸と深くつながり、内陸諸国家と対岸であるイタリアを経由する西欧諸国家との間の交易を目的とする国家だったのです。
当時、文化的には遅れていたとされるバルカン内陸の諸国家には西欧の文物(モノだけではなく、西欧の文化全般)を持ち込み、バルカン半島からは豊な鉱物資源を持ち出す、これがラグーザの交易であり、その故ベネチュアの競争相手とは見られなかったようです。
確かに地図を見るとイタリアは狭いアドリア海をはさんだ対岸、向こう岸との間の物資交換はローマ時代から行われていたようです。

2008年3月27日木曜日

バルカンの歴史

久しぶりに東京に滞在中、毎度のことですが滞在中に本屋と図書館めぐりをしています。
目に入ったのがバルカンの歴史解説書、アドリア海の歴史はバルカン半島の歴史と当然のことながら密接にかかわりあっています。
宗教・政治・民族が複雑に絡まりあったバルカン半島の歴史、現在のバルカン諸国のモザイク状態を理解するための基本的なバックグラウンド情報を得るには最適の本ではないでしょうか。

2008年1月21日月曜日

ローマ人の物語

塩野七生のライフワーク「ローマ人の物語」を読み直しています。
何度読んでもその面白さは変わらない、というかますます引き込まれるという感じで、名著とはこのような作品なのだと得心。
同時代を描いた歴史書、学術書を読んでもこのような面白さはありません、著者・塩野七生の人間観に基づいた解説が真に的を得、そして著者の情熱が伝わってくる、そのことがこの著作を生き生きとさせているのでしょう。
ローマ帝国が滅亡した後、ローマの興隆期の社会・政治そして人間に対する現実的な考え方を最も的確に受け継いだのがベネチュア共和国だったのだと感じます。
東地中海クルーズに行く前の必読書にやはり「ローマ人の物語」を加えることになりそうです。

2008年1月4日金曜日

オデュッセウス漂流航路

ギリシャ神話として有名なオデュッセウス、トロイ戦争の後10年間に渡った漂流で訪れた場所は現代の研究者によっておおよそ判明しています。エーゲ海はもとより、イオニア海から遠くジブラルタルまでその当時のギリシャ人は航行していたようです。

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